帝、カタルシス






 思えば俺はずっと楽しいなんて思った事はなかったかもしれない。






 「桐堂様!おはようございます!」
 「・・・おはようございます」

 朝、登校すると必ず女共が駆け寄ってきて挨拶をしてくる。いつもいつも飽きないのかと思うが、奴らの顔には極上の笑みが乗っている。気持ちわりぃ。

 内心では毒づきながらもそれを顔に出すほど俺は馬鹿でも子供でもない。いつものように作り笑いをしてやるだけで、そこはやり過ごす。

 それだけで女共はキャァキャァと耳障りな声を上げて去って行く。こんな所を見ると本当に女と言う生き物にウンザリとする。

 夜に会う女達も似たようなものだ。一度抱いただけで彼女を気取ったり、しつこく付き纏ってくる。

 「・・あぁうぜぇ・・」

 この学園で俺がこんな事を呟くなんて思っている奴は皆無だろう。


 桐堂財閥と言う名の枷を負って生きると決めたあの日から付けて来た仮面はもう随分年季が入っている。この仮面を取る日が桐堂財閥の最後の日になるだろう。

 俺はその日まで誰にも仮面の下を見せるつもりはなかった。見せる相手も現われるとは思っていなかった。

 そう・・・あの日までは。









 「・・・再婚・・?」

 何年かぶりに日本に帰国した親父は相変わらずの嘘くさい笑顔をして俺に話しかけてきた。
 無視してやりたかったが、人の目もあり何より内容が気になった。

   「そうなんだ。再婚しようかと思ってね。帝はもちろん歓迎してくれるだろう?」

 疑問系で聞いておきながら、それは疑問ではない命令だ。歓迎以外の選択肢など俺にはないのだ。


 再婚。いつかこんな日が来るのではないかと思っていたが、実際目の前にされると動揺するものだ。

 「・・勿論歓迎するよ。相手はどんな方なんですか?」

 仮面に少しだけ素顔を覗かせて笑うと、親父は少し顔を顰めたがすぐに笑みを浮かべる。

 「相手の女性も再婚なんだよ・・・一般の方なんだ」
 「・・一般・・?」
 「そう。どこかの令嬢でも社長でもない、ただの女性だよ」

 思わずポカンと口を開けてしまった。こいつの言っている言葉の意味が理解出来ない。
 一般人と結婚して何の意味があると言うのだ。利益も何もない結婚なんて俺は知らない。

 その考えに気付いたのか、親父は苦笑しながら諭すように言った。

 「結婚は本来、損得関係なく愛し合ってするものなのだよ」

 それを聞いた瞬間、どうしようもない怒りがこみ上げてくるのを感じた。こいつだけには言われたくないと思った。その結婚をしなかったお前にだけは。


 これ以上、この場にいたら本当に殴りかかってしまいそうだったので軽い挨拶だけして退出しようとした背に声が掛かる。

 「相手の女性にはお前より一つ上のお嬢さんがいるんだ。義姉さんが出来るんだぞ」


 義姉?そんなもの・・・くそくらえだ。


 くそくらえ・・・だったのに。









 今日、親父は浮かれてた。ウゼェ。何でも再婚相手と食事するとか。好きにやってくれと思ったが、それはどうやら顔合わせらしく、俺も出席しないといけないらしい。

 それだけでも面倒でたまらないのに奴はさらに娘を迎えに行けとほざきやがった。かなり嫌だったが表面上はにこやかに了解する。

 まぁ俺も少しだけだが興味があった。俺の義姉になる女はどこまで馬鹿だろうかと。きっと学園の女共と変わらないと思っていた。




 その女の高校はどうやら女子高のようだ。門で待っていても出てくるのは皆女で俺を見ては奇声を上げて走って行ったりする。話しかけてくる奴らはいなかったが、これはこれで珍獣にでもなったような気分がして不愉快だった。

 来るんじゃなかった。何が楽しくて見世物になっているんだ俺は。
 ウンザリと溜息を吐いても黄色い悲鳴が上がる。ああ、もう限界だよ。

 本気で帰ろうと思った。外見特徴を聞いただけで写真を見たわけではないから何とでも言い訳が出来るはずだ。

 だが、帰ろうとした時ある女子生徒が目に止まった。

 長い黒髪の癖毛を揺らして勝気そうな瞳でこちらを見る少女。決して美人とは言えなかったがなぜか心に残った。


 引き寄せられるように少女に近付いて分かった。

 似ているわけではない。だが、どことなく似ているところがあったのだ、あの人に。

 驚いたが、すぐに仮面を付け直す。ふわりと笑ってやればどんな女でも顔を赤らめる。目の前の少女も例外ではなく頬を染めた。

 「・・宮川茉莉さん?」

 そう聞くと、少女は何度も頷いた。俺の感はどうやら正しかったようだ。
 目的の人物が見付かればもうこんな所に用はない。一刻も早く立ち去りたい。


 呆然としている茉莉を何とか引っ張ってリムジンに乗せる。

 軽く挨拶をすると女はすぐにホッとしたように気を許してきた。ここまで簡単でいいのかよ、と少し心配になる。

 姉さんって呼んでいいか、なんて俺なら反吐が出そうな問いにも笑顔で応じるこいつにはきっと裏なんてないんだろう。

 きっと裏切られた事も絶望した事もない、お気楽な笑顔に俺の中に眠る悪魔が疼いたのが分かった。

 何も知らずに呑気に笑っている女に絶望を見せてやりたい。きっと面白い、絶望に歪む茉莉の顔は。

 その時初めて、俺は仮面を外してもいいと思った。少なくともこの女には俺の素顔を見せてやりたいと思ったのだ。


 今から考えると俺は茉莉に懸けていたのかもしれない。本当の俺を受け止めて欲しいと思っていたのかもしれない。


 現に、俺はあいつといる時、楽しいと感じている。からかいに反応してすぐに怒る所も俺を恐れて顔を歪める所も全てだ。

 だが、唯一泣き顔だけは見ても楽しいとは思わなかった。水を掛けられても仕方がないと思ったくらいだ。この俺が反省したのだ。

 こういう時どうすればいいか分からない。普通なら謝るのだろうが、あいつ相手に仮面を付けてもそれは出来ない気がした。

 だからせめてもの償いに熱を押してパーティ会場に行った。あいつが誰か他の男と楽しくダンスをしているのなら良かったのだが、案の定あいつは一人で泣いていた。


 泣き顔なんてもう見たくなかった。そのためなら風邪だろうが熱だろうがどうでもよかった。

 他人にここまでするなんて今までになかった。この感情の名前が分からなかった。

 温かくてこそばゆい、不思議な気持ち。


 仲直りしよう、と言われた時は特に何も感じなかった。だが、あいつが俺を弟だと思いたくないと言われた時はなぜか嬉しかった。

 あいつには弟なんて思われたくなかったのだ、俺は。だから仮面を外して優しい弟を演じるのを止めた。

 楽しいんだよ今が。牢獄だった屋敷も今はそれほど苦痛を感じない。

 心底嫌いな親父だったが、あんたに一つだけ礼を言ってもいい。

 あんたが再婚したおかげでこいつと会えたから。


 柄にもなくこんな事を思うのは、きっと俺が熱にうかされているせいだろう。    











  BACK  NOVELS TOP